◆バカボンの紙芝居・・・おもろいぞ・・・見てや◆

アクセスカウンタ

zoom RSS ●歴史教室・・・・房総の歴史●

<<   作成日時 : 2017/11/11 05:09   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 4

画像



千葉氏の台頭◆

画像


画像


平安時代、関東では平将門の乱などあったが、坂東平氏は着々と勢力を確立していった。
そのなかで、平忠常を祖とする千葉介常胤、上総介広常は、両総で勢力を伸ばし、平治の乱で源義朝が敗れた結果伊豆に流され、そこを脱出した頼朝を庇護した。
画像
画像

治承四年(1180)頼朝の挙兵のおり、頼朝とそれに従う千葉介常胤がその六子(太郎胤正、相馬次郎師胤、武石三郎胤盛、大須賀四郎胤信、国分五郎胤通、東六郎胤頼)を伴って参会したのも、下総国府であった。千葉常胤は上総介平広常が頼朝によって誅されると、その領地をも併合し、有力な鎌倉御家人としての地位を確立した。
千葉氏の本拠地は、もともとは大椎であったが、今の千葉市中心部に進出した。常胤の子らは、下総の各地に散って多くの子孫を残していった。太郎胤正は宗家として千葉庄、千田庄などの下総の所領を継承したほか、上総介広常の上総の遺領や北九州の小城などを伝領した。

画像
画像

相馬次郎は相馬御厨を継承し、奥州行方郡などを領して子孫は奥州相馬氏となった。武石三郎は千葉の武石郷と陸奥の宇多・伊具・亘理の三郡を、大須賀四郎は下総香取郡大須賀保と陸奥岩城郡などを領した

画像

。国分五郎は葛飾郡国分郷、香取郡大戸庄などを領し、東六郎は香取郡木内庄、立花庄、三崎庄などを領した。東氏の子孫は美濃郡上郡にも領地をもち、移住して美濃東氏となった。有名な東常縁は、その美濃東氏の出身である。また元寇に備え、鎌倉幕府の御家人は九州へ下向、一部はそのまま九州に留まることになり、千葉氏の一族でも九州千葉氏が生まれた。
画像

このように鎌倉時代以降、下総地方は千葉氏の一大本拠地であったが、室町、戦国時代と時代は遷るに従い、古河公方足利成氏と上杉氏の対立、小弓公方足利義明の登場と上総武田氏、里見氏の勃興など、戦乱の様相を呈するに及んで、諸豪の城館も各地に築かれた。首都圏とあって、遺構が残り難いが、それであればこそ下総地方の城館の遺存状況について記録しておく必要がある。

画像

</strong

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます

千葉と言えば、千葉氏もですが里見氏も
里見八犬伝。
>北九州の小城などを伝領した
ずいぶん遠くに
もうヘトヘト
2017/11/11 09:13
オッハ
千葉一族・・・豊臣秀吉の小田原攻めで滅びる(^^♪
バカボン
2017/11/11 09:19
以前 ウォーキングで 千葉城跡に行き、そこの博物館で 初めて千葉の歴史を 知りました。

今でも 子孫の千葉さんは 続いてる
みたいですね
ピンポンブー
2017/11/15 10:50
おこしやす
バカボンは歴史大好き・・・ヨーロッパ・中東・中国など随分勉強したぞ(^^♪
バカボン
2017/11/15 19:04

コメントする help

ニックネーム
本 文
●歴史教室・・・・房総の歴史● ◆バカボンの紙芝居・・・おもろいぞ・・・見てや◆/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる